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武庫女エッセイコンテスト応募作品掲載ページ第二弾!
学生広報スタッフの活動

こんにちは!

大日4年のぞえと、食栄4年ののりこです🌸

第一弾に引き続き、本ブログでは、武庫女エッセイコンテストの応募作品を掲載しております!

どれも素敵なエッセイばかりです!

彼女たちの言葉が、誰かにとっての新たな視点や気づきになりますように…!!

第一弾には入賞者5名の作品を掲載中ですので、そちらも是非チェックしてくださいね😊

 

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『天国にいけることばとは。』

生活環境学部二年 はる みどり

ことばというテーマでエッセイを考えたとき、ふと思い出した手紙があります。
二分の一成人式で、成人式を迎えた自分に宛てて書いたものです。
部屋の掃除中に見つけたそれは、小学四年生、十歳の私から二十歳の私への手紙でした。

そこには当時いちばんの悩みが書かれていました。
「私は死んだら天国に行けるの?」という不安。地獄が怖くて仕方ない様子。
そしてこうも書いてありました。
「天国にいけることばをつかっていたら、大丈夫だと思う。」

そんなことを考えていたことすら、私は忘れていました。
けれど二十歳になった今、「天国にいけることば」というその響きが、妙に胸に残ります。

十年前の私に聞いてみたい。
天国にいけることばって、なぁに。
今の私は、大丈夫かな。

大丈夫だよ、と言ってほしいような。
少し怖いような。

 

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『象徴は、咲かなかった』

食物栄養科学部食物創造科学科一年 今村

高校の卒業式の日、桜は一つも咲いていなかった。その時私は、「満開だったらよかったのに」と思った。校内では梅がこぼれるように咲き誇り、春の息吹はすでにそこにあったというのに、どうして私は桜を求めたのだろう。

桜の花びらは風に靡き、やがて舞い散る。その儚さは、別れの場面にふさわしい気がする。けれど、私自身が本当に求めていたのは満開の桜そのものではない。大切な人との別れにうまく言葉を与えることができず、散る花びらに少しの高揚と寂しさ、そして終わりを舞い散る桜に重ねたかっただけなのだ。そして、別れをきれいなものとして、うまく終わらせようとしていたのかもしれない。

咲いていなかった桜は、私の勝手な象徴だった。今思えば、あの日散っていたのは花ではなく、そこに意味を求めていた私自身だったのだ。

 

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『抱負』

食物栄養科学部食創造科学科三年 なむる

『今年の目標ありますか?』
新年になると必ず聞かれるこの質問。今年の私は珍しく答えを決めていた。
『ポジティブ。』
私は真面目で計画的、完璧主義。その反面、
思い切りが悪く、ネガティブである。そんな自分が嫌で、大学では新しいことに挑戦し、少しずつ自信もついた。だが、どこか自分を信じきれず、先のことを考えては悩んでしまう。何でも前向きに捉えられる人の方が、人生楽しそうで羨ましかった。そんな気持ちで立てた今年の目標。なかなか大変な目標だが、意識をすれば頑張れると思っていた。
この話を先輩に話すと、
『ネガティブってそんな悪いことですか?計画してる時点で前に進んでるじゃないですか。何も前向いて前に進まなくても、後ろ向いて前に進んだらいいんですよ。』
これを聞いた瞬間、肩の力が抜けた。

無理に変わらなくてもいい。今の自分を認めてあげれば良いのか。
改めて立てた今年の目標は、
『自分らしく。』

 

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『ヤバイ。無理。そして、』

文学部日本語日本文学科三年 白石

こんなことになるならちゃんと勉強しとけばよかった。勉強したところで使わないし、本を読んでも眠くなるだけ。ずっとそう思ってた。

ヤバいとか、無理とか、死ぬとか。喜怒哀楽全部そういう言葉で、終わらせられることに何も思ったことないのに。

一言では伝えきれないほどの感情があっても、言葉にできなくて、こう…なんというか…ぎゅってなりながら、じゅわ~ってあふれている。

少し分かったことがある。言葉って勉強のためだけではない。私の感情を全部受け止めて。とは言えないけど、自分ではどうすることもできないから、伝わらなくても言葉にするんだ。

色んな言葉をもっと知りたい。今のなんにも知らない私が言えるせめてもの言葉は単純でカッコ悪いけど、全力。言葉が増えた私もきっと変わらず全力だけど。

今の私の全力は、大好き。この言葉にすべてを込めて。

 

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『ことばのはじまり』

建築学部景観建築学科一年 ももも

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」

この言葉は、昔読んだ児童書の中で引用されていた聖書の一節だ。これを読んだ時、強い衝撃を受けたことを覚えている。世界の始まりである神という壮大な存在が、言葉として語られていることにロマンを感じたのだと思う。過去に聖書を作成した人間は、なぜ言葉を神としたのだろうか。

言葉は、他人と意思疎通をするための道具である一方で、私たちの思考や認識を形作っている。例えば、言葉によって感動することがあり、他人と新たな関係が生まれることもある。何気ない一言で考え方が変わったり、名前を与えられた瞬間に、それまで曖昧だった感情がはっきりしたりすることもある。言葉は人との繋がりを示すものであると同時に、後から考えを表すだけのものではなく、世界の見え方そのものを支えているのだ。そう考えると、「言は神であった」という表現は、決して誇張ではないのかもしれない。

 

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『かわいいね』

食物栄養学部食物栄養学科三年 勝手トライアングル

私はメモ魔人です。これは!と思ったらすぐにスマホにメモします。

そのメモの中から1つ。

「かわいかった!!!!!

なのに可愛いと言えなかった、スタバの水筒かわいいって言っちゃった

本当にかわいいのは…ちゃんなのに」

これは友達が三つ編みをしていて超絶に可愛いかった日のメモです。

!が5個もありますね。バババババッ!と親指を激しく動かしたんですよ。かわいい!が生み出したエネルギーと、なんか照れて言えなかった!悔しい気持ち由来の!です。

その代わりにスタバの水筒を褒めたんですね。情けない。裏でこんなにメモして、こんな所でまで書いても何も伝わらない。

メモして、考えて、じっくり煮詰めて、気持ち悪くなって、私の考え方、感じ方が作られると思うんですよ。

でも褒め言葉はどんどん言った方がいいですよね。言われたら嬉しいし。それをメモして見返して思い出すのはほんまに気持ち悪いですね。もっと爽やかにいきたいですね。

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『それでも、』

薬学部健康生命科学科二年 梟

言葉は呪いだ。私は負け組だと言われたことがある。当時15歳の私は、自分の人生そのものを否定されたように感じた。受験戦争に負け、塞ぎ込んでいた私に言葉は容赦がなかった。

この呪いが私をまた襲ったのは18歳の時だった。呪いは確実に私の心を蝕んでいった。私はどうにかしてこの呪縛から解放されるために、言葉の意味や意図を正しく解釈して咀嚼 してきたつもりだった。

しかし呪いというのは根強いもので、一瞬にして全てがフラッシュバックし、鮮明に言葉の 音までをも蘇らせてしまう。私は呪いを解く方法は無いのだと感じた。ただ、呪いは解けずとも、他の呪いで心を埋め尽くす事はできるのかもしれない。実際、呪いに苦しむ私を救ったのは皮肉なことに、言葉だった。

言葉は薬に似ている。時に人を救い、時に人を殺す。薬が用法用量を守らないと毒になるように、言葉も毒になりうるのだ。ただ1つ違うのは、言葉は必需品だということだ。

 

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『言葉は心を紡ぐ』

教育学部教育学科四年 rin10

スリランカの赤土の上に立ったとき、足裏からじんわりと熱が伝わり、私は言葉よりも先に世界の息づかいを感じた。朝日が昇るたび色を変える空の下、ホームステイをさせてもらいながら道路建設のボランティアをして向き合ったのは、「言語の壁」そのものよりも、思いと表現のあいだに生まれる距離とどう向き合うかという、自分の内側の揺らぎだった。うまく言えない。語彙が足りない。けれど、ぎゅっと繋いでくれた手のぬくもりや、太陽よりもきらきらの笑顔で私の名前を呼んでくれた瞬間は、どんな言葉よりも真っ直ぐに私に触れてきた。

そのとき私は知った。言葉は万能ではない。完璧でなくてもいい。不完全さの中にこそ、心がそっと触れ合う瞬間がある。たとえ言葉が届かなくても、人は笑顔でつながれる。だから私はこれからも言葉を使う。誰かと矛盾や揺らぎを分かち合いながら、自分の心で 世界とつながっていくために。

 

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『言葉の魔法』

教育学部教育学科一年 Keep Smile

 私は、言葉には人の心を動かす力があると思う。「ありがとう」と言われれば笑顔の花が咲き、「ごめんなさい」と言われれば仲間の輪が生まれ、「大好き」と言われれば幸せの証を感じることができる。たった一言でも、言葉は人に嬉しさを運び、その嬉しさが広がることで、世界は少しずつ明るくなっていく。笑顔が増え、まるでお花畑のような景色が広がるのだと思う。私は、誰一人悲しまない、みんなが平等で楽しいと感じられる世界になってほしいと願っている。しかし、言葉は人を幸せにする一方で、使い方を間違えると誰かを傷つけてしまうこともある。だからこそ、相手の気持ちを考え、涙ではなく笑顔が生まれる言葉を選ぶことが大切だと思う。その一言が誰かを救い、世界を少し変える力になる。私は、言葉の魔法で人を幸せにできる存在でありたい。

 

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『寒い春』

教育学部教育学科四年生 くろまめ

最近、友達とぶつかることが多い。

気持ちの面で。

友達が100だとすると、私は30くらい。

勝手に考えて、自分の首を絞めて、相手が想像していそうなことを考えてしまう。

私の悪い癖だ。

 

ずっとその友達のことを考えてしまって、モヤモヤが続いていたとき、

ネットで「気持ちに繊細 どんな人」と調べている自分がいた。

 

人間関係で迷子になることが多い私。

モヤモヤが大きな煙になってしまった。

電車に乗って、窓の外を見ていたとき、

少しずつぼやけてきた視界。

そう、知らないうちに涙が溢れていた。

どうすることもできなかった、言葉の壁。

 

どうやって相手に気持ちを伝えるのがいいのかな?

私が全部背負ってしまえば、楽になれるのかな?

素直になれば、元に戻れる?

 

「言葉はまるで雪の結晶」

髭団の歌詞の一部。

言葉は形を変えれば変えるほど、相手に寄り添える。

でも、それと同時にすぐに消え去る。

 

素直な自分になってみたい。

本当の自分に会いたい。

 

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『桜の花の魅力』

文学部歴史科学科二年 まい

 桜。私は毎年、春にこの花を見かけると、いつも、春が来たという喜びとともに、切なさもこみ上げてくる。なぜかというと、花びらが散るとともに、寂しさ・儚さを感じてしまうからだ。

よく、桜は、卒業や入学のイメージとして描かれることが多いが、それも、喜びと切なさを体現していると思う。特に自分が卒業や入学する学年のときには、桜の花が門出や新しい場所への期待を後押ししているように感じる。もちろん、春が来るたびに、心機一転、頑張ろう!という気持ちになるのだけれども。

「さくら」がタイトルに含まれている歌やイメージした歌がたくさんあるが、歌などの芸術作品が多いのも、日本を代表する花で、桜に切なさというイメージが定着しているからだろう。

桜は、不思議な魅力をもつ花だと思う。春を象徴する花であるのも、おそらく見る人にそのような気持ちにさせるのだから。

 

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『思いと正しさと父』

文学部日本語日本文学科一年 犀豆 舞

 父に「俺がいるだけじゃダメなの?」と聞かれ、私はそれには何も答えられなかった。「父がそう言ってくれて嬉しい。それだけで救われる。」と言えなかった。友達との喧嘩、姉が遠方の大学へ引越し、母との別居。それらが重なり合っていた最中で、あの時の私は心が疲れていた。
だいぶ時間が経ってから、大学に入り教職課程を履修して、悩む人にかけるべきでない言葉と対応を学んだ。重要な決定をさせることや、励まし、旅行に連れ出すことがするべきでないことを知った。それを学んだ時、私の大切な言葉と信条が違っていたので戸惑った。あの時何も言えない自分を責めていたがそれは仕方なかったのかもしれないと思えた。しかし、あの時の父の言葉が正解の言葉でなくとも、それは確かに大切な言葉だ。
私は使わないが大切な言葉が仕舞ってある心がある。それでいいのではないだろうか。私は、私を救うために学び、私を幸せにするために私は考え続けようと思う。

 

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『私のスタンスを決めた言葉』

健康・スポーツ科学部スポーツマネジメント学科一年 キャクタス

 先頭に立つ者は行動で示さなければ誰もついてこないぞ。これが私の人生の中で一番奮い立った言葉である。中学2年生の時、生徒会長に当選した。とても嬉しく、学校をより楽しい場所にしたいと考えていた。だが、その日から約一週間経ったある日。市内対抗のマラソン大会が行われるため学校を代表して数名廊下に呼ばれることになっていた。その候補者に私も選ばれた。幼い頃から長距離が大の苦手だ。呼ばれた瞬間、「えー」と反射的に言ってしまった。その後、担任の先生から呼び出された。表情を見て、とても怒っていると分かった。案の定怒鳴られた。「出たいと思っていた人もいたかもしれないという事まで考えたか?自分は嫌だなと思っても、リーダーは何事にも前向きに、やったるぞ!という気持ちを持て」そう言われ、はっとし未熟さを痛感した。着いていこうと思える人は逆境さえも前向きに捉えポジティブだ。そんな人になりたいと日々邁進している。

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『真夜中のラブコール』

 文学部英語グローバル学科三年 くれよん

「パパ、ママ。私もうダメかもしれない。」

この言葉を何度発したか分からない。初めてのアメリカ分校への留学。周りの人は留学経験者や英語力が高い人が多い中、私は海外旅行の経験もなく英語力も低い状態だった。そのため海外の人たちにうまく話しかけられずオドオドし、自身の英語力不足で会話が続かない。心身は確実に疲弊していった。そんな自分にとって弱音を吐ける唯一の場所は両親との電話だった。アメリカと日本は17時間ほど時差があったが、わざわざ両親は日本が夜中の時間帯に電話をしてくれた。両親の声を聴くと悔しさや心細さで涙が溢れた。でもこの電話のおかげで毎回頑張ろうと思えた。

「大丈夫。きっとうまくいくよ。」といった言葉を何度もかけてもらった。こういった 支えがあったから英語力も向上し海外の人と積極的に関わることが出来た。言葉一つで人はどこまでも挑戦でき、成長することができる。言葉は誰かにとってのラブコールである。

 

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『また不器用なわたしの魔法』

文学部歴史文学科二年 アサ

ことばは魔法だ、といつか恩師が話してくれた。

その言葉が、ずっと心に残っている。

 

今日もわたしは本をひらく。

 

思ったことを口にするのが、正直で誠実なことだと思っていた。けれど、正しさと優しさは、いつも同じ方向を向いているとは限らない。

 

たった一言が、誰かの心にあるガラスを粉々にしてしまうこともある。

 

「パリン」

 

その音がわたしの胸の奥で鳴ったとき、

 

わたしは、今まで傷つけてしまったかもしれない人たちの顔を思い浮かべた。

 

わたしはたくさん本を読んだ。

この魔法の使い方を教えてくれる存在が、他に思い浮かばなかった。

 

わたしは、まだこの魔法をうまく使いこなせない。

 

「そんなつもりじゃなかったのに」

 

ことばは魔法だ。

ならばわたしは、誰かを守る魔法使いになりたい。

 

そのために今日も、本をひらく。

ことばのことを、もっと知るために。

 

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『言葉は石原さとみ、魂は居酒屋』

心理・社会福祉学部心理学科二年 かのん

 20歳の私がスナックのカウンターに立つ時、まずは石原さとみさんを憑依させる。動作は3割スロー。微笑を湛えた口角と、研究し尽くした歯の見せ方で、芯のある落ち着きを演出する。狙い通り、客からは「23歳くらいに見えるね」と判定が下る。よし、と心の中でガッツポーズ。しかし化けの皮が剥がれるのは一瞬だ。酔いが回り始め、楽しくなってきたら、手を叩いて爆笑し、その音が店中に響き渡るのは日常茶飯事。下ネタにも動じず「それ最高やん!」とガサツに笑う姿はもはや居酒屋のオッサンそのもの。客からは「中身は完全にオヤジやな」と呆れられる始末だ。
雰囲気は23歳の石原さとみさん、動き出せば酒場のオッサン、実体は20歳の女子大生。このチグハグな三重奏が、私の正体である。
そんな私を、お客様は楽しそうに笑って受け入れてくれる。今夜も背伸びした外見と、騒がしい中身を抱えて、私はカウンター越しに賑やかな夜を回している。

 

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『4月18日(土)』

文学部歴史文化学科一年 安藤

 さくらの「さ」の字を2画で書いてしまうような君の横に、拙く「桜」と書く僕がいる。