1939(昭和14)年、武庫川学院は発足し、武庫川高等女学校が開校した。現在の武庫川女子大学附属中高の前身にあたる。入学者は尋常小学校を卒業したばかりの女子165名。前途に戦争の暗雲がたちこめる中、勇気の船出であった。
年史編纂が始まって間もない2016年5月18日、武庫川学院創立80年記念プレイベント第1弾として、武庫川高等女学校一期生7名と大河原量学院長との座談会「われら、一期生」を開催した。大正と昭和の変わり目に生まれ、戦争と復興、高度経済成長を経て平成の時代を生きる一期生は90歳。座談会は、学院草創期を直接知る人に話を聞く貴重な機会となった。
集まった7名はそれぞれに個性的だ。書家、人形作家、卓球選手、百合の生産者――。みな、現在進行形で活躍中だ。着物やスーツをセンス良く着こなし、とても90歳に見えない。
時が巻き戻るように、思い出話がにぎやかに始まった。一期生は開校当初、校舎が間に合わず、武庫川河畔の仮校舎で学んだ。仮校舎は木造平屋で3棟あり、校庭の遊具や池で夢中で遊んだ。本校舎に移転するときは、椅子や机を自分で運んだ。甲子園浜から芦屋浜までの遠泳、厳しかった水泳部やテニス部の練習、床に涙の地図ができるほど泣いた1944(昭和19)年の卒業式――。やがて武庫川学院は空襲で校舎の大半を失い、一期生もそれぞれ戦渦をくぐることになるが、卒業までかろうじて平穏な学び舎が保たれた。
大河原学院長は「仮校舎はどんな様子でしたか」「当時からスポーツが盛んだったのですね」「校祖の公江喜市郎先生は身だしなみや礼儀に厳しかったでしょう」などと質問。校則の話題で盛り上がり「スカートの丈が長いとか、脇をつめてはいけないとか、物差しを当てて注意されたね」「低学年は耳下2センチのおかっぱ、高学年は三つ編みの長さまで決まっていたわ」と、わいわい。まるで女学生に戻ったよう。
最後に全員で学院歌斉唱。当時の歌詞は時代を反映し、一部今とは異なるが、一期生たちは当時の歌詞を高らかに歌いきった。
(米)