1945(昭和20)年8月6日の8時15分、広島県に原子爆弾が投下された。
あれから68年経った、
2013年8月6日の広島に行ってきました。
前日の夜に、大阪から広島までの夜行バスに乗って、
式典の行われる平和記念公園に着いたのは7時30分でした。
公園の周りには、参列する一般の方・デモ隊の方、そして警察官や報道に関わる人たちがたくさんいました。
また、中に入るとたくさんの人が式典の広場に向かって歩いていて、私は初めて訪れたのですが、会場までは人の流れに沿って行けばたどり着きました。
その途中で、突然「原爆ドーム」が現れました。
教科書はもちろん、テレビや本などの数えきれないほどの多くの場所で目にしたことはありましたが初めて実物を見ました。
実物は骨組みと煉瓦しか残ってないのですが、そこに建っているだけで考えさせられました。
このドームは、青々とした緑の葉に囲まれてあります。
少し、視線をずらせば近代のビルも見えます。
ドームの周りは、今の時代の流れに沿って動いているのに対して、この建物は時間が止まっていた。
時代の大きな流れの中で、時間が止まって老朽化していく建物を残すことは大変だとは思うけど、忘れないために文化遺産として残していかなければならないと感じました。もし、この建物がなければ立ち止まって考える機会は時代と共に減っていくと思います。
私たちは、公園内に入ったものの人が多くてなかなか式典会場まで辿りつきませんでした。
途中、いくつか設置されていた中継テレビを発見しました。
そして、公園中で鳴り響いていた不協和音のようなメロディーが鳴りやみ、
放送で、「8時15分になる」とのアナウンスが入りました。
私たちは急いで式典の見れる位置に移動したかったのですが、間に合わないと思い途中で立ち止まりました。
そこは、白いテントに入れない人たちであふれかえっていました。
8時15分__鐘の音が鳴り響きました。
ざわざわしていた人の声は聞こえません。
鐘の音と蝉がけたたましく鳴っている鳴き声だけが聞こえます。
1分間の黙とうが終わり、
周りを見渡すと日本人ではない人もたくさんいました。
私たちは、すぐに真ん中から式典を見れる位置に移動しました。ちょうど、広島の松井一実市長の「平和宣言」のときでした。
話している方々は遠くてしっかり見えなかったのですが、鳩たちが一斉に空に飛び立つ瞬間を見れたのは感動しました。
その日のパンフレットを取りに行きました。
パンフレットには、金色の5cm程の折り紙が入っていて、公園内のありとあらゆるところに回収箱が設置されていました。
式典は9時頃に終わり、平和記念資料館へ行きました。
中に入るには2列になって並ばないと入れませんでした。
係の人は最後尾の看板を使って、誘導していました。
館内は人でごった返していました。
展示品は人の波に押されて、じっくり見れなかったことが少し残念でした。
ただ、様々の国の人たちが来ていて、改めて国際的な式典だったのだと感じました。
この像は佐々木禎子さんが亡くなってから、同級生の人が原爆で亡くなった子供のために像を建てる活動を始めたそうです。徐々に活動は日本全国に知られ、世界からも応援してもらい、建てることができたそうです。
次に、原爆ドームから5分程離れた場所にある爆心地を見てきました。
爆心地はドームから離れているからと昼前だったからかも知れませんが、人通りが少なかったです。
【感想】
初めて広島に訪れて、街並みを見てから原爆ドームや資料館に展示されている写真を見ると、本当にあったことを疑いたくなる気持ちにもなりました。資料館内では、様々な言語が飛び交っていましたが、館内の奥に進むごとに日本人も海外から来ていただいた方も、気持ちを言葉で表せずにいました。
『平和』という言葉を大切にしたいと思いました。
大日3年 足立麻理子(まりも)