福祉職を目指す心理・福祉学科の学生や福祉職に就いている卒業生らが、村主康瑞・種智院大学学長の講演「人生の終着駅をどう迎えるか」を聞き、終末期医療などについて考えました。
2013/02/16
「第2回武庫川女子大学社会福祉研究会」が2月16日午後、心理・福祉学科の主催で中央キャンパスで開かれ、同学科の福祉職を目指す学生や福祉職に就いている卒業生ら約100人が、村主康瑞(すぐり・こうずい)・種智院大学学長(真言宗中山寺派管長)=写真右=の講演「人生の終着駅をどう迎えるか」を聞き、延命治療や終末期医療について考えました=写真中=。
高齢化社会を迎え、延命治療や終末期医療、見とりなどが大きな問題になっていることから、同学科が研究会を企画しました。
慈悲の心 自分の心はいつも自由
村主学長は「慈悲の“慈”は喜びを分かち合うこと、“悲”は悲しみを分かち合うこと。この場にいる学生の多くは福祉の仕事に就くと思いますが、慈悲は見とりや子育て、さらに人と接する際の基になるものです。送り人、これから生まれてくる迎え人、すべては慈悲に集約されます」と慈悲の心の大切なことを、分かりやすい事例をまじえながら強調。
維摩経講話にある維摩居士と文殊菩薩の問答を紹介した後「みなさんはこれから、自分の中で悩みや妄想などがいっぱい出てくることがあると思う。しかし、自分の心はいつも自由であることは忘れてはいけません」と呼び掛けました。
生と死の修羅場に出来るだけ多く立ち会う
この後、村主学長と同学科の大西次郎教授=写真左=が対談しました。大西教授は「死に直面した人が目の前にいる時、援助者はどうあるべきでしょうか」と質問。村主学長は「人間の心臓が止まる瞬間に出来るだけ多く立ち会うことです。そこでは、命が続いていく様と、生命の生が終わった瞬間の両方を実感できるでしょう。逆に生まれてくる瞬間、例えば妊婦さんと付き合うのもいいでしょう。生命の修羅場に多く立ち会いなさい。そして、その人から何かを得ることができたら『ありがとう』と言いましょう。『ありがとう』と言えなかったら、そこまで達することが出来なかった自分に『くそったれ』と言うことになります」などと、福祉職に就く人の心構えを優しく説きました。