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鳴松会の沖縄支部長らが、沖縄戦の女子生徒看護隊「白梅隊」の生還者と交流。語り伝える70年前に聞き入る(心理・社会福祉学科2年 多鹿春菜、辻岡せれな)

2015/03/09

 武庫川学院の同窓会、「鳴松会」沖縄支部(100人)の支部長、知念ヨシ子さん(1962年、短大教育学科卒)らが3月7日、沖縄県立第二高等女学校の女子学徒看護隊「白梅隊」の生還者たちと交流、生還者が語る70年前に聞き入り、戦場に散った少女たちに思いをはせた=写真(前列の右側が生還者の人たち、前列左側は知念支部長)。支部では、戦後70年の今年、沖縄戦の悲劇を共有し、白梅同窓会を支えるために、どのような活動ができるのかを検討する。

 知念さんと目瀬佳子さん(1979年、短大家政学科卒)が那覇市内で開かれた「白梅同窓会」の集いに参加した。きっかけは、共通教育で「戦争と女性」という授業を通じて、白梅隊の悲劇を伝えている河内鏡太郎教授が、多鹿春菜、辻岡せれなとともに、この集いに加わることになったことだ。河内教授は、読売新聞社会部記者だった1980 年、本土の新聞として、初めて白梅の戦いを同新聞に連載した。

 白梅隊員として修羅の戦場を体験した白梅同窓会の中山きく会長が「わたしたちのことを最初に紹介してくれた河内先生は恩人です。そのご縁で、武庫川学院の同窓会のみなさん がきてくださり、とてもうれしい」と話した。会員は85歳を超え、会合への出席者も年々、減っている。

 白梅隊には56人が参加し22人がなくなった。「ひめゆり学徒隊」を含め全県で九つの高等女学校の生徒たちが動員され、多くの犠牲者か出た。15歳前後の少女たちが「兵士」として、傷病兵たちの看護にあたったが、砲撃や火炎放射など、つきつぎと亡くなった。

 知念支部長も二人の兄を沖縄戦で失い、家族が暮らしていたあたりには今も立ち入れない。戦争はかたときも忘れたことはなく、年齢と闘いながら白梅の人が語り伝える行動を続けていることに感銘、涙をにじませ、協力したいと伝えた。わたしたちも、授業では感じられない、生き残った人たちしか語れない強烈な青春の日々に触れ、息を飲んだ。
(多鹿春菜、辻岡せれな)

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