ムコジョはコウジョになっていたかも…。友田泰正・教育研究所長が武庫川学院の名称ルーツを調査。公江学院、甲子園学園も候補に挙がっていました。
2011/07/14
教育研究所長の友田泰正教授(文学部長)=写真左=が、武庫川学院の名称のルーツを調べ、その結果を武庫川女子大学教育研究所の「研究レポート」第41号=写真右=にまとめました。学院名だけではなく関連する武庫川や鳴尾の歴史などの資料も収集して整理、学院歌の歌詞に出てくる后の宮は西宮市の広田神社であると解釈するなど、興味深い内容になっています。
巻頭で友田教授は「単に武庫川の近くにあるから武庫川学院なのか。それとも武庫川およびその周辺の歴史、ひいては川や水一般の特性を辿ることによって、本学院立学の精神に何らかの貢献が期待できるのか」「本学院が立地する土地の自然や文化、特にその歴史を紐解くことによって、本学院における教育の理念と機能のより一層の拡充・深化が可能になるのではないか」と調査の意義を説明しています。
学院創設時、校名候補として「公江学院」「甲子園学園」の提案がありました。「公江学院」は私的な印象がぬぐえない、「甲子園学園」は高校野球の場としては有名だが、男子校のイメージが強いという難点があり、悩んだ公江喜市郎・初代学院長は、荻野八郎氏(平成22年逝去。元武庫川学院理事、特別顧問)に校名について相談。荻野氏は「公江学院でも良いのではないか」と説得しましたが、公江学院長は納得せず、「武庫川学院」という名前を提案したというエピソードが紹介されています。
この時、公江学院か甲子園学園の名称になっていたら、大学名は公江女子大学か甲子園女子大学となり、略して「コウジョ」と呼ばれたかもしれません。
そのほか、学院歌の歌詞に登場する「かほよ鳥」とはどのような鳥か、「后の宮」「異国船」「武庫の浦曲」とは具体的に何を指すのかなどについて、万葉集の歌や神功皇后伝説、鳴尾村史などを手がかりに幅広く調査。后の宮は(西宮市の)広田神社と解釈してもいいと指摘しています。